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真相考察 長岡京主婦わらびとり殺人事件

1979年、京都府長岡京で、わらびとりに山に出かけた同じ職場で働いていた、主婦AとBが失踪する事件が発生した。

警察の捜索により、山中で二人の他殺体が発見された。犯人は血液型o型の男とされ、被害者の女性のズボンのポケットから、オワレテいる たすけてください この男の人わるいひと と殴り書きされたメモが発見された。

警察は容疑者として、次々と不審人物たちを取り調べていくが、結局犯人不明のまま、5年が経過した。

1984年、同じく長岡京で、主婦Cが5年前の事件と同じ手口で殺害される事件が発生し、警察は、犯人は血液型0型の男と断定。同一犯の仕業かと騒がれた。

主婦cは、5年前の事件当日に、同じ職場仲間だったAとBと一緒にあの山に入山していたのだ。凶行が行われる前に一人だけ先に帰ったらしい。

これは公表されていない事実である。Cの安全を守るために配慮されたといわれている。だが、Cは結局殺されてしまった。

主婦AとBが殺害された事件と関係があるのか。関係があるならなぜ5年たってから殺害されたのか。

ここから、自分なりの考察をしていきたいと思う。

オワレテいる たすけてください このおとこのひと わるいひと

なぜ被害女性は、この文章を書いて残したのか。書いている時間があるのなら、少しでも犯人から逃げようとするのではないか。

本当に被害者が書いたのだろうか。犯人が偽装工作のために書いたのではないのだろうか。犯人は男であると警察に思わせるために。すると犯人は女なのか?

だが、被害者の遺体に付着していた犯人とおもわれる男の体液が発見されている。やはり犯人は男だ。だが、共犯に黒幕の女性がいたのではないか。

私はある意外な人物を黒幕として仮説をたててみた。それは主婦Cである。

主婦Cは、AとBになんらかの恨みを持っていてそれを晴らすために、二人を山中に誘った。そして共犯の血液型O型の男に頼んで、AとBの始末を頼んだ。殺してほしかったのか、死なない程度に痛めつけてほしかったのか。Cがどちらを願っていたのかはわからない。私本人の考えでは後者だったのではないかと考えている。

だが、その凶暴な男は、Cの希望に反して二人とも殺害してしまった。ことのなりゆきをみたCは震えたに違いない。そこで、自分はこの事件に無関係であることにしようとして、あのメモを書いて残した。この事件は一人の悪い男による犯行だと。共犯の女など存在しないと。

事件から5年が経過。だが、Cはついに良心の呵責に耐えられなくなって警察に出頭しようとした。だが、そうされては困る共犯の男はCを口封じに殺害したのではないだろうか。

冷酷で残忍な血液型O型の男の正体は誰なのだろうか?