本能寺の変 家康黒幕説
本能寺の変家康黒幕説について。
天下統一まで目前というところで、本能寺の変で家臣だった明智光秀に裏切られ自害に追い込まれてしまった織田信長。
明智光秀は信長を倒したものの、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ敗走。落ち武者狩りに遭い命を落としたとされている。
このことから、光秀は3日天下だったなと揶揄されることが多い。
この本能寺の変だが、光秀単独犯行説かそれとも黒幕がいたのではないかと噂されることが多い。
今回は家康黒幕説について。
歴史研究家の明智憲三郎氏によると、信長は家康の存在が邪魔になり明智光秀に家康を暗殺するように命令した。
だが、光秀は信長のことを嫌っていたので、家康に事情を話して自分と共謀して信長を暗殺しようと、持ちかけた。
本能寺の変は成功。信長は死んだ。つまり家康は光秀によって命拾いしたことになる。
だから自分の息子秀忠や孫家光にそれぞれ光秀の1字をつけて、光秀に対して感謝の気持ちを表した。
だが、ミスター武士道は、明智氏の提唱するこの家康黒幕説は間違っているのではないかと下の動画内で指摘している。
信長が家康を殺すメリットがない。
上杉や毛利などまだまだ敵の多い信長。そんな時に家康を殺してしまうと、三河岡崎の家臣たちを敵に回すことになってしまい、厄介な敵をさらに増やしてしまう。信長の目標である、天下統一がますます遅れてしまう。
また秀吉ら家臣たちは自分たちも家康のように殺されてしまうのではと、信長に不信感を抱かせることになり、自分に対する暗殺やクーデターを引き起こすことになってしまうかもしれない。
信長が明智光秀を使わなくても、他の家臣に殺させれば済む。
家康は上洛の際に、信長の嫡子織田信忠や丹羽長秀らと同行していたので、わざわざ光秀を使わなくても簡単に暗殺することができる。
家康の本能寺の変に対する対応の遅さ。
家康が伊賀越えで本領三河岡崎に帰ったのちの、本能寺の変後の対応が遅すぎて、秀吉に先に光秀を倒されて天下を取るチャンスを奪われてしまっているのでとても黒幕とは思えない。
以上のようなことを、ミスター武士道は家康黒幕説を否定する理由として語っている。
ここまで丁寧な説明をされると、家康黒幕説は成立しないのかとあきらめざるを得ない。面白い説だなと思ってはいたけど。
そういえば秀吉の中国大返しも、現実的には不可能だと言われていて、秀吉黒幕説みたいなものまであるみたい。
秀吉はあらかじめ本能寺の変が起きることを知っていて、入念な準備をしていたから中国大返しが成功したのだと。
まあ、信長が死んで最も得をしたのは秀吉だから疑われても仕方がないか。
参考 ミスター武士道の戦国噺
『本能寺の変』家康黒幕説は成立するのかを考察してみた YouTube
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