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近衛文麿黙して死す 塗り替えられた戦争責任

 

あくまでも素人が本を読んで書いた記事です。誤りがあるかもしれません。

鳥居民氏著作。

近衛文麿は、日米開戦前の総理大臣だった人物。
戦後、マッカーサー率いるGHQにより戦犯として逮捕されることになるが、その前に自殺してしまった。
文麿という名前から、いかにも貴族みたいなイメージが思い浮かぶが、実際に貴族だ。
近衛家は、名家中の名家。あの細川護熙元首相は、近衛文麿の孫。

本作のキーマンは、近衛文麿とその親友である木戸幸一である。
木戸幸一は、明治維新で活躍した長州藩木戸孝允の子孫であり、近衛と同じく貴族。
近衛と木戸は、京都大学の同窓であり、ライバルでもあった。
近衛は首相、木戸は内大臣にまで上り詰めた。
首相はご存知だろうが、内大臣とは何かを知らない人は多いだろう。
天皇を補佐する役職で、天皇の側近中の側近といった感じか。
天皇の意向に大きな影響を与える人物だ。

近衛はあらゆる手段を尽くして日米開戦を阻止しようとしたが、木戸幸一が自己保身からくるある理由によって近衛に協力せずに、内大臣としての職務を全うしなかったために日米開戦を招いてしまい、戦後さらに木戸が負うべき開戦責任を近衛にすべて押し付けたと、鳥居民氏は指摘する。
その自己保身からくるある理由とは。

昭和11年当時、陸軍内部では、天皇親政を目指す皇道派と、政財界と通じて総力戦体制を目指す統制派と呼ばれる派閥が争っていた。
皇道派に所属していた青年将校たちが、永田町の官邸などを襲撃する226事件が勃発。
木戸幸一は、天皇に助言し、青年将校たちを逆賊とした。青年将校たちは捕らわれ、その上官だった多くの皇道派将官たちも責任を問われ、陸軍を去った。
陸軍から皇道派の連中を追い出し、陸軍のトップに君臨することになった統制派の将官たちと手を結んだ木戸幸一は、皇道派が反対していた中国との戦争を招いた責任を問われるのを恐れて、日米開戦を避けるために不可欠な中国大陸からの日本軍の撤退は認めるわけにはいかなかった。

首相の近衛文麿は、内大臣木戸幸一に、中国大陸からの日本軍の撤退を認めない陸軍大臣東条英機を説得するために、昭和天皇に上奏してくれと伝えたが、木戸は拒否。 近衛は天皇に直接上奏したが、天皇は木戸から中国大陸から日本軍を撤退させる必要はないという考えを受け入れ、近衛の意見を無視した。
木戸は、閣内不統一で総辞職した近衛内閣の次に、東条英機を後継首相に指名した。 自分と同じで中国大陸の撤退に、反対していたから。 昭和天皇は、日米開戦に不可避な中国大陸からの日本軍撤退に反対した、木戸の意見に賛成した。 近衛は、この事で天皇が戦争責任に問われると考え、戦後自分に開戦責任を押し付けようとしてきた木戸を糾弾することができなかった。

近衛文麿黙して死すとは、木戸に開戦責任を押し付けられた近衛が、天皇のためになにも反論出来ず、黙って自殺してしまったことなのだ。